浅井智子
親も学びあえる森のようちえん
浅井智子さんは、元・公立保育園の保育士。専業主婦に憧れていたこともあり、結婚の3年後に退職した。息子が1歳になったとき、近くの愛知県春日井市で森のようちえん活動をしている組織があると知り、見学に行ったのが今の活動に入るきっかけだ。
自身も自然の中で過ごすうち、森のようちえんが目指そうとしている教育が理解できるようになってきた。だが、現場はいつも人が足りなかった。保護者の立場から、いつしかボランティアスタッフとして運営をサポートする側に。そのうち園長自身が産休に入ることになり、園長代理を頼まれることに。
「息子が通う幼稚園をなんとか守りたい。その思いでお引き受けしました。自分だったらこうしたいと感じることもありましたが、留守を預かる立場なので変えることはできません。途中で引っ越しをしたこともあり、息子の卒園を機に今の岐阜県多治見市に自分で森のようちえんを立ち上げることにしました」
それが10年前に設立した『自然育児 森のわらべ多治見園』だ。拠点施設はとくに持たず、季節やその日の天気に応じて市内の緑化公園やキャンプ場などを利用する。臨機応変さは、少人数保育の持ち味でもある。
自然育児の理念を広めるのが先
「人数が少ないと社会性が養われないんじゃないかという言われることもあります。私は逆だと思うんですよ。大人数だと、気の合う子がどこかしらにいるものです。少人数の場合、気が合わない子とも一緒に時間を過ごさなければなりません。自然も人づきあいも、いつも思い通りになるわけではない。そうした折り合いの付け方を見つけることも学びです」
子どもは本来、よりよく生きようとする力を持っていると浅井さんは考える。その力を導き出すのが自然だ。アウトドアの力で幼児教育の在り方を大きく変えたい――。意気込んで始めた森のわらべだったが、チラシを作って配布しても、開園式の時点では地元多治見市からの入園者はいなかった。浅井さんは、新しい文化や価値観に対する、無意識の警戒だと感じた。
「これは自分の園だけではなく、森のようちえん全体の課題だ。そう確信し、講演会や勉強会などを通じて自然育児の理念を広める活動を始めました。運営は苦しかったですが、仲間の輪が大きくなれば最後は自分に返ってくると信じ、お声がかかれば全国どこへでも行きました。種まき活動ですね」
森のようちえんのほとんどは認可外の保育園だが、近年は鳥取県や長野県のように認証する自治体も出てきた。浅井さんの住む岐阜県では、県の林政部が木育支援という形でサポート体制を作っている。今の浅井さんの視野は、幼児教育にとどまらない。
「子どもたちのお世話をさせてもらうなかで感じたのは、お母さんが育児の面白さに気づくことの大切さです。お母さんであることの実感が薄い、つまり子育てを喜べない人って意外に多いんですよ。理由は孤独感です」
孤独な親に目を配るのも幼児教育
しかし、乳幼児はなかなか自分の思うようにならず、つねに孤独と不安に襲われている。森のわらべは、迷えるお母さんたち(お父さんたちも含め)がともに学び合える“親育”の場として機能してきたという自負がある。
「うちへ来て、ここならほっとできると泣く方もいらっしゃいます。やんちゃな子を児童館のような施設へ連れて行くと、謝ってばかりなんだそうです。森に来た時も、最初は子供を止めようとするんです。子ども同士の自我のぶつかり合いは止めなくても大丈夫ですよ。まずは見守りましょう。そういうと、堰を切ったように今までのつらい思いを吐き出す。少し先に通っているお母さんたちが、うちもそうだったよ、気にすることはないよと声をかけると、やっと笑顔になりました」
森のわらべでは、参加者を森わらファミリーと呼ぶ。アウトドアという共通の価値観を持った人たちが家族ぐるみで交流を深めることは、核家族化によって失われた社会のセーフティーネットの再構築にもつがなる。浅井さんの種まきは新たな段階に入った。
取材・文/鹿熊 勤
-profile-
浅井 智子 Tomoko Asai
自然育児 森のわらべ多治見園 園長/母と子の幸せ応援団~ひなたぼっこ~ 代表
名古屋市立保育短期大学卒業後、公立保育園の保育士として勤める。その後、我が子を愛知県春日井市の森のようちえんで育てながら、スタッフとして関わる。その経験をもとに、多治見市にて岐阜県初の森のようちえん『自然育児 森のわらべ多治見園』を立ち上げる。森のようちえん全国ネットワークの初代運営委員を務めながら、森のようちえんの普及活動を全国で展開。2016年には、『母と子の幸せ応援団~ひなたぼっこ~』を立ち上げ、自然育児&勇気づけ子育てを提唱中。