松場省吾
山は最高の遊びと学びの場
やまたみは、02年の国際山岳年に国連が掲げた「WE ARE ALL MOUNTAIN PEOPLE」(私たちは皆、山の民である)という合言葉にちなんで設立された山の活動団体だ。日本有数の山岳地帯である信州を拠点に、ライチョウに象徴される地域固有の希少な生き物の生息地を守るとともに、地域の人々の環境意識を底上げする活動を、登山を通じて行なっている。入会9年目になる松場さんが担当するのは、子供やファミリーを対象とした登山教室のマネジメントだ。
名だたる山々が眼前に迫る信州。そんな景色をいつも眺めて暮らしている長野県の人たちは、登山に熱心だという印象がある。ところが松場さんによると反対だという。
「私は20年前に岩手県から長野県に来たんですが、驚いたのは“長野県の人は登山に関心が薄い”ということでした。私は大学生のときにワンダーフォーゲル部に所属していて、わざわざ岩手から長野まで登りに来ていました。それくらい長野というのは憧れの地だったのです。ところが、来て愕然としました。登山に関心がないという人がものすごく多かったんです。理由を知って、なるほどと思いました。いつも目の前に見えるので興味が湧かないということもありますが、遭難のニュースが流れると、近い場所であるだけ怖さがリアルなんですね。もちろんすべてではありませんが、山は危ないところ、登山は大変なことと刷り込まれてしまい、子供たちにも山なんて行くものじゃないと言う人もいらっしゃるんです」
伝統の学校登山が山嫌いを助長している?
行事の中に登山を伝統的に取り入れてきた学校もあるので、登山経験者の人口は他県よりも多いかもしれまい。しかし、その体験は生涯学習につながっていない。松場さんは、学校登山の伝統の中にも県民を山嫌いにさせる要素があったのではと考える。原因は引率方法だ。登山経験のない先生よりも、むしろ山好きを自負する先生に問題があることも少なくない。自分たちの頃はこれくらいでは弱音を吐かなかった、根性を出せと追い立てるように歩かせることが、登山に対するトラウマを子供時代に植え付けてしまったというのだ。スポーツの世界全体で問題視されつつある“個の違い”に対する配慮の欠如である。
「もちろん、苦労して頂上を踏んだ時の気持ちは格別ですが、その経験がのちのちプラスとして残るか、マイナスとして記憶されるかと考えると、追い立てられるような登山はマイナス効果のほうが大きい。山は辛い場所だったという思いしか浮かばない人も多いのが現実でした。学校登山は自然に親しみ、人と環境の関係を理解するすばらしい入り口なのに、うまく機能していない。ここを変えなければと思いました。場合によっては頂上を目指さすことを目的としない形態も必要だと思います」
登山ブームと言われているが、人口を実質的に支えてるのは中高年と若い女性だ。そこに子供の姿がほとんどないことを松場さんは懸念する。野球やサッカーの場合、地域に小学生向けのクラブ活動がしっかりしており、大学や社会人チームにまでつながっている。その厚みがスポーツ文化を支えプロ輩出の窓口にもなってきた。そうしたしくみが登山にはない。登山業界自身に登山は大人のスポーツという意識が根強く、子供の成長や教育的意義といった社会的な視点で可能性を議論してこなかった。登山をきちんとしたスポーツ、文化に育てるには、子供の登山にもっと目を向ける必要がある。そうした思いから立ち上げた自主事業が、小学生対象の『やまたみキッズ登山クラブ』と、家族ぐるみで山へいざなう『やまたみファミリー登山教室』である。
「命の危険があるスポーツなのに、小さい頃から学ぶ場がない。そして、大人になって始めるときも雑誌やネットの情報で自己流で登る人が多いことも心配しています」
多芸多彩なスペシャリストが子供を山へ引率する
「キッズ登山クラブは日本ではじめの子供の登山サークルだと思います。いちばん大事にしているのは、自分の身は自分で守ることです。寒かったら着る。暑かったら脱ぐ。休憩時間は水分補給とエネルギー補給の繰り返し。スタッフにはプロの登山ガイドだけでなく、山岳医、看護士、保育士、教師、山岳遭難救助のパトロール隊員、登山用品店の店員、ボーイスカウト指導者などさまざまなスキルを持った人たちがいて、子供たちをサポートしています。このクラブの特徴は、学年やレベルで分けず、大きい子も小さい子も、経験のある子もない子もあえて混ぜていることです。普通のクラブ活動でもそうですが、大人がああしろこうしろと指導するより、子供どうしの関係性に委ねた方がいい。上の子は下の子を見て、しっかりしなきゃという自覚が生まれるし、頼られる喜びがある。下の子は、自分もいつかこんなお兄ちゃんになりたいと憧れる。昔のガキ大将グループのような関係性ですね。自主性を育てつつ、登山で最も大切なことは、頂上に到達することではなく、安全に下山することだということを教えています」
開催は月1回。冬の高い山は危険度が高いので、雪遊びやスノーシュートレッキング、クロスカントリースキーなどを行なう。去年はじめて試みたのが鹿狩りだ。地元の猟師の狩り場をひと回りし、足跡や食痕、糞などのフィールドサインを見つけるもので、最後は鹿肉を食べて締めくくる。子供たちにも大好評で、新たな学びの多いプログラムだった。松場さんは今、善光寺街道のうちの松本市―長野市間を3年かけて歩き通すという企画も構想中だ。
「昔の人の歩く旅を追体験してみることで、はじめて得られる感覚があるはずです。車で走ればあっという間の距離ですが、歩いてみると、あの峠を登って下った先が長野市だ、のような時間と空間の意識が呼び覚まされます」
登山とは、突き詰めると歩く行為を通じて何かを理解すること。山にはさまざまな可能性と発見が眠っている。頂上に登るだけではなく、動物や虫たちと出会う喜び、昔の生活にふれたり、新しい遊び方を体験する。山とは、楽しいことがまさに山ほどある場なのだ。松場さんの夢は、山は楽しいものだと感じた子どもたちと、いつかさまざまな場面で一緒に仕事をすること。また、全国各地に同じ理念を持った登山の地域クラブができることを期待している。
取材・文/鹿熊 勤
-profile-
松場 省吾 Matsuba Syogo
NPO法人信州まつもと山岳ガイド協会やまたみ 理事
やまたみキッズ登山クラブ リーダー
岩手県久慈市出身、長野県に移住して20年、山のガイドと宿のスタッフを兼業し、所属するNPOでやまたみキッズ登山クラブ・ファミリー登山教室のリーダーを担当する。宮沢賢治が教員時代にしていた生徒達との野外実習が目指すところ。子ども達に信州の山の楽しさと、安全登山の普及を伝え続ける。NPO法人信州まつもと山岳ガイド協会やまたみ理事。