Q:山口さんは、この業界の中では珍しく、ご自身のことをいろいろな所で書かれている方なのではないかな~と思っています。
いろいろな所で、山口さんの文章に接しますが…山口さんの野外活動・野外教育・自然体験活動の原点は子どもの時ですね。
A:そうです。熊本市内の里地・里山の地、富尾山(とみおやま)と云う照葉樹の森林(もり)で、周辺は田畑が広がる地で毎日毎日、遊び回ってました。一年を通じていろんな自然の遊びや学びを楽しんでましたね。今にして思えば、そこが僕の“自然学校”の始まりだったと思います。仲間と共に、いろいろな技や手法を伝授してくれる先輩たちもたくさんいましたね。毎日、学校が終わり家に帰り着くやホームグランドの富尾山に行って、季節ごとに食べれる植物や木の実を食し、山や森の木々等で自然のフィールド・アスレチックを楽しんだり、住処(すみか)造りにのめり込んでいました。夏には、クワガタムシやカブトムシは勿論のこと、あらゆる虫を捕ってしまう虫取り名人でしたね。川魚や淡水性の貝類も捕って、家に持って帰ると母親に料理してもらい食べていました。秋には、待望の柿ちぎりや栗拾いを楽しみ、時には戦いごっこもやる。何をやるにも切り出し小刀の「肥後の守(かみ)」が必携でしたね。そんな中から確実に命の大切さや人や物に対する優しさ、協調性や協働性などの社会性を学んでいったと思います。そして、確実に体も鍛えられて行き、体力が付き精神力も鍛えられて行った気がします。
これが僕の、野外教育と自然学校の原点だと思います。(「私の野外教育特論」より一部抜粋)
Q:山口さんのプロフィールなどを拝見すると、その子どもの時のお話の後、22歳ぐらいまで飛んでしまいますね。その間どんな暮らしだったですか? 中・高生時代ですかね?
A:中・高生時代は、通学に時間がかかるようになったでしょう。それにクラブ活動もあり、なかなかそういう時間がなくなってしまったんですよね。
Q:何部だったのですか?
A:中学時代は、テニス部。
Q:ちょっと意外ですね。高校は?
A:バスケットボール部と生徒会役員。そんなこんなで殆ど、野山で遊ぶ時間が無くなっていましたね。
高校を卒業し大学は静岡県でした。大学を卒業して東京の会社に就職し辞めて帰熊したのは、26歳の時でした。それから青年団体活動にのめり込んで行きました。その頃、「九州青年の船」(チャーター船による2週間の中国への旅)というのに参加し、その後、役員をやったりで、一気に当時の青年団体活動(今は、NPO活動)の幅が広がって行きました。それが、だいたい26歳から31歳ぐらいまでですね。
それらの体験や大学時代から始めた山登り等が、IOE(野外教育研究所)の事業への原点なのかも知れません。
Q:なるほど、そんな体験が山口さんのただの野外活動をするということだけでなく、国際交流、国際協力などの、ソーシャル・ビジネスというか、広い活動の底流に流れているのですね。
「野外教育研究所」を設立した頃(1986年(昭和61年)の話しを伺って良いですか?
A:先にお話しした様に26歳で熊本に戻りました。
その頃に考えたのが、地域に根を張りながら社会教育に関わる仕事をしようということでした。
でも、お金になるような社会教育の仕事ってあまりないんですよね。当時は。
教員採用試験も3年ほど受けたんですが、受ける度に、“俺にとって、これは違うよな~・・・。”って思っていました。そこで熟慮の末、自分で創るしかないんだ。と考えました。
28歳の時に、自分のライフワークは、“野外教育”だと決めました。この野外教育って決めた原点が、先にお話しました、“子どもの頃の原体験”でした。
その頃は、自然の中で活動してキャンプして、そこに子どもたちを連れて行って。それらが仕事になるなら良いナってと漠然と考えていましたね。
途中で、熊本地元の一般の企業の採用試験とかも受けたんですけど(受かったんですが)、でも、ここで、迷ってどうするんだ!!って思い直し、断わりました。そして、31歳の時に起業しました。
その後の4年後ぐらいに、清里環境教育ミーティングに行って、佐藤初雄さんたちに出逢って、そのあたりから、日本アウトドア・ネットワーク(JON)や日本国内の環境教育のネットワークとの付き合いが始まりましたね。日本国内の自然体験活動の現状等が見えて来た思いでしたね。
そこで思ったのは、長野の「だいだらぼっち」やくりこま高原自然学校、NEOS等の地域に根ざした事業・活動こそ「自然学校」なんだと云うことでしたね。
ただ、九州で同じ様な形で出来るどうか、如何に九州型行くか!?は考えねばと思いましたね。一つの自治体だけでなくて、広域の連携&協働で、コミュニティ・ビジネス(CB)、ソーシャル・ビジネス(SB)としてやって行かなければいけなんじゃないかと考える様になりました。勿論、インバウンド等も取り入れながらですね。
Q:今は、何人ぐらいスタッフ抱えてますか?
A:6名です。
でも、自然学校では、まだまだなかなかメシが食えないですよね。
僕は、食っていけるようにしなければと考えています。IOEのということだけじゃなくて、「自然学校」全体がですね。
自然学校とツーリズムを主テーマに野外教育を基礎として地域の問題、課題を解決して行けるビジネス(CB、SB)のコンセプトやノウハウを整理して行かねばと考えています。九州で若い連中が、自然学校でキッチリと食えていけるようにしなければと考えています。公務員並みの給料をとれるようにしてやらねばと思います。
そのためには、せめてあと5年、10年ぐらいはIOEでガンバらねばですね。
自然と文化をテーマにした地域づくりのプロデューサーやコーディネーターをやって行きたいですね。
それに、国際交流や国際協力の仕事もありますしね。ミャンマー事業も15年目になります。アジア自然学校のプロジェクトだと考えています。
九州での自然学校のネットワークとパートナーシップ(連携と協働)もたくさんあります。
九州の自然学校とツーリズムをベースにした地域づくりが、ライフワークです。
北海道の高木さんたちと“道州制フォーラムをやりたいネ。”とも話しています。
九州大好きデス!!
Q:IOEの後継者は?
A:IOEのスタッフは5人います。40代と20代です。だれが後継者なのか? みんなで話して決めてもらえれば良いのかナ。
若手の自然学校のスタッフが、九州で生きて行けることが、大事ですね。
(インタビュアー:桜井義維英)
(平成29年6月現在)
1954年(昭和29年)熊本県人吉市生まれ。東海大学海洋学部海洋資源学科卒業。
昭和61年に 野外教育、環境教育、国際教育の民間専門事業所「野外教育研究所IOE」を設立、所長
平成3年11月 NPOコミュニティ・ネットワーク協会を設立、専務理事へ。
平成15年2月 NPO法人コミネット協会(CNA)に移行、理事長へ。
平成24年6月に IOEとCANを統合・合併して、一般社団法人アイ・オー・イー設立、代表理事へIOE事務所住所〒861-8039熊本市東区長嶺南2丁目5-31 TEL.096-387-6922 FAX.096-387-7139
Eメール:info@ioe-j.com URL:http://www.ioe-j.com
山口専用Eメール:boss@ioe-j.com (携帯電話)090-1369-6360
【役職・要職・講師など】自然学校プロデューサー&ツーリズム・プロデューサー
・九州自然学校協議会(NSP-Q)代表 ・熊本地震救援ネットワーク「RQ九州」代表
・NPO法人阿蘇ミュージアム理事長 ・認定NPO法人地球市民の会理事長
・阿蘇エコツーリズム協会副会長 ・NPO法人日本エコツーリズムセンター理事
・阿蘇火山博物館客員学芸員 ・子どもの生きる力研究会
【資格・免許・主な会員など】
・環境省・環境カウンセラー
・(財)日本レクリェーション協会レクリェーションインストラクター
・(財)日本自然保護協会・自然観察指導員 ・日本野外教育学会会員 ・日本環境教育学会会員
・中学校・高校理科教職免許 ・学芸員免許
・(一社)日本アウトドアネットワーク(JON)団体正会員
【ライフワーク、テーマ等】
・野外教育、環境教育、国際教育、地球共感教育、災害教育、防災教育
・「自然学校」と「ツーリズム」を主テーマとした環境地域づくり
【専門・特技】
自然体験型環境教育、自然体験活動、阿蘇くじゅうエコツアーのガイド&インタープリテーション
子どもの長期キャンプに関する野外教育論及び野外キャンプ全般
環境地域づくり(専門:自然学校、ツーリズム)のプロデュース&コーディネーション
NPO&NGO活動と経営マネジメント及び協働パートナーシップ、中間支援活動(インターミディアリー)
コミュニティ・ビジネス(CB)&ソーシャル・ビジネス(SB)
とソーシャル・エンタープライズ(社会的企業)
ヨーロッパの環境地域づくり論、米国のNPO論&自然学校論
ツーリズムの企画と運営、アウトドア・クッキング、整理と分類と編集とワークショップ各種
※著書:「私の人生ツーリズム」Vol.1、2(自費出版)、他上記に関わるレポート、報文等、多数。
【趣味】
キャンプ、野歩き&山歩き、エコツアー、アルキング、トレーニング、リバートレックング、
アウトドア・スポーツ、風景画、作詞・作詩、クッキング(特に野外料理)、
旅、温泉巡り、人生談義 等など