大津愛梨
自然体験×哲学対話で子どもを伸ばす
都会育ちだが、自然が好きで子供の頃から体験キャンプなどに参加。大学では景観計画を研究した。結婚相手は、その大学で出会った同級生で、熊本県南阿蘇町の農家の跡取りだった。
大津愛梨さんは、住んでいる集落で最も若い農家の嫁であり、4児の母でもある。就農当時から、都会の子どもたちを田んぼや畑に招いてのびのび遊ばせる活動を続けてきた。自身の子どもも同じ方針で育てるなか、地元の子どもたちやママ友パパ友も参加する流れも生まれ、教育の場としての農村の価値を可視化してきた。
「はじめは、変わった嫁だなと驚かれました。子どもは大勢連れて来るわ、外国人も来るわで。集落で農業後継者がいるのはうちだったので、温かい目で見ていただきました。最近寂しいのは、皆さんすっかり慣れてしまい、変わったことをしてもびっくりしてくれなくなったことです(笑)」
農村が持つ真の価値とは何か?
東日本大震災のあった2011年には、東北や関東からのべ100人以上の子どもたち受け入れ、心のケアに気を配った。子どもたちが帰り際に言った「また来たい」という言葉に押され、以後毎夏、子ども合宿を開催している。熊本地震があった2016年からは、所属する女性農家の全国組織・NPO法人田舎のヒロインズの活動として、子ども合宿をより発展させたプログラムにも取り組んでいる。生きる力と考える力を育む、リトルファーマーズ養成塾だ。
「ひとつの試みとして、哲学対話というものを取り入れてみました。私の中高時代の友人が、新潟県の佐渡島で実践している活動です。提唱者はハワイの研究者で、大学教育の中にも取り入れられています。阿蘇も佐渡も世界農業遺産に登録されました。話題にはなりましたが、課題はまだ解決されていません。自分たちが暮らす農村の価値とはなんだろう。それを誰が引き継いでいくのだろうと真剣に考えたとき、欠かせないと思ったのが対話と哲学です。今やっているのは、その土壌を育てようという、ある意味で壮大な実験です」
参加した子供たちに、1日45分、話し合いをしてもらう。テーマは、いずれも答えが簡単に出そうにないもの。自由とは何か。お金とは何か。幸せとは。生きるとは。家族とは…。イメージはグループ禅問答だ。学級会とは趣の違ったテーマに、はじめ子どもたちも戸惑うが、次第に自分の言葉で考えを語るようになっていくことに気づいた。大津さんは言う。
「普段の子どもたちは、誰からも否定されない、何を言ってもいい状況ってほとんどないんです。道徳の授業でさえ、じつは望ましい答えが用意されています。哲学は答えのないことを考える学問です。出てきたさまざまな考え方を尊重しながら、それぞれがよりよい考えを見つけ出そうという試みで、自然との向き合い方にも通じます。自然の中で自由に遊ぶ時間と、自由に考え静かに対話する時間をセットにすると、子どもたちは明らかに変わりました。つまり、成長することを発見しました。子どもって順応性が高いんですよ。そこを上手に伸ばすのが大人の力量です」
世界のローカルを哲学でつなぐ
人の考えをあてにするのではなく、自分の頭で考える習慣をつける。自然災害に遭遇したときの対応がまさにそうだ。大津さんには、熊本地震の直後に見た忘れられない光景がある。最も被害が大きかった地域の80代の男性が、すぐに農作業を始めたというのだ。
「家の修繕はいつでもできるが、作物は今やっておかないと収穫ができなくなる。この言葉を聞いて、現代人に必要なのはこのメンタルだと思いました。つねに前を見る。先を読む。そもそも現代人はアクシデントに弱すぎます。災害時の子どもの問題にフラッシュバックやトラウマがありますが、哲学対話には、心をしなやかにする効果もあります」
大津さんの夢は、この哲学対話を農村に広げることだ。農村体験、自然体験をすることと、農村で育つ、自然の中で育つということは似てはいるが、非なるもの。五感のセンスという意味では、自然に囲まれて育った農村の子どもたちのほうが優位にある。
自然に対してより繊細な感覚を持つ子どもたちを交流させれば、世界のローカルがつながる時代が来る。そこにこそ、世界農業遺産制度の理想があるはずだと語る。
取材・文/鹿熊 勤
-profile-
大津 愛梨 Eri Otsu
O2Farm共同代表 NPO法人田舎のヒロインズ理事長
1974年ドイツ生まれ、東京育ち。慶応大学環境情報学部を卒業した後、熊本出身の夫と結婚し、共にミュンヘン工科大学(ドイツ)に留学して、修士課程を修了。2003年から夫の郷里である南阿蘇で就農し、無農薬米などの栽培に取り組む。2014年にNPO法人田舎のヒロインズ理事長に就任。農業、農村の新しい価値について発信や活動を続けている4児の母。
・『日経ウーマン』の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2008 リーダー部門」受賞
・『オーライニッポン』「ライフスタイル賞」を受賞(2009年)。
・FAO(国連食糧農業機関)アジア地域事務所より「模範農業者賞」を受賞(2017年)