中田無双
流域循環型林業で都会と田舎をつなぐ
北都留森林組合参事の中田無双さんが林業の世界に飛び込んだのは、今から16年前だ。生まれ育ったのは、泳げる川も虫捕りのできる森もない東京の下町。少年時代の夏休みは光化学スモックで外出すらできない日があった。本好きで、大学卒業後は大手書店に入社。営業社員として働いた。毎日本に囲まれる仕事は楽しかったものの、家族との時間を犠牲にする転勤制度に直面し、サラリーマンという生き方に疑問を感じた。
そんなとき知ったのが、全国森林組合連合会が開いていた林業ガイドスクールだ。参加した回のホスト組合が、山梨県の上野原市、小菅村、丹波山村の森を管理する北都留森林組合だった。管理面積は2万5000ヘクタール。ちょうど日本の森林面積の1000分の1である。受講後の懇親会で、組合幹部に悩みや思いをぶつけてみた。都会というシステム自体の矛盾。林間学校ではじめて感じた森の匂いやおいしい水のこと。それは、幸福とはなんだろうという自問でもあった。
「酒の勢いで、林業は大変だ、大変だというけれど、やるべきことをやっているんですか! なんてことまで口走ってしまって。そしたら、おまえ面白い奴だな、うちに来ないかと誘われて転職することになりました。人生は一度きりですから、勢いも大事です」
よそ者だから担えるミッション
以来、人口600人の小菅村に暮らしている。よそ者を大らかに受け入れる土地柄にも助けられ、林業技術者として汗をかく一方、それまでの林業家があまり得意ではなかった環境教育や啓発などの提言活動、交流や協働事業といったネットワークづくりに奔走してきた。つねに考えてきたのは、よそ者の自分だから担うことのできるミッションだ。
本来の林業は持続可能な循環型産業であり、山村地域における中心的産業だった。そして森は下流地域にとって重要な水源。流域全体の生物多様性や社会の安全を守るといった公益的機能も持っている。
だが、木材価格は再生産可能な額、すなわち労働に見合った適正な単価をすでに割ってしまっている。林業はこれまで以上に生産性の向上と低コスト化を進める必要に迫られている。このような事情があるため、搬出などの施業方法が荒くなって森や川の生態系に負荷をかけてしまうケースもある。
林業を持続可能な産業にしなければ、自然も暮らしも守ることはできない。誇りも保てなくなる。そう考えた中田さんは、2013年の北都留森林組合通常総代会で、新たな経営理念として<森を中心とした持続可能な流域循環型社会の実現>という文言を盛り込むことを提案し、承認された。
「森林組合は全国に600ほどありますが、流域循環型社会の実現を経営理念の中に謳っているのは、たぶんうちだけだと思います。私たちが守っている森は、相模川と多摩川というふたつの川の源流。どちらも下流は都会ですが、下流の人たちは上流に対して無関心。上流の人たちは下流の暮らしを守っているという自覚がない。この断絶感が残念で、悔しくてなりませんでした。それが提案の動機です。条文に盛り込んで宣言したところ、状況が大きく動き出しました。下流の人たちが訪ねてきたり、逆に私たちが招かれるようになったんです。大学、企業のCSR担当、消費者団体。そして総合学習の授業。都会からバスに乗って子どもたちがやってくるようになりました」
森づくりこそ村おこしの核
林業は孤独な仕事だ。自分たちの担ってきた公益性がわかりにくいうえに、仕事のサイクルは同じ。しかも経営は楽ではない。都会の子供たちから森の仕事についてあれこれ尋ねられると、あらためて自分のしてきた仕事の役割が見え、悶々とした気持ちが消えていく。
「子どもや若者が来ると、山のおじいちゃんたちは元気になるんですよ」
こうした効果も含めたさまざまな力を、あちこちでスパークさせる。交流をエネルギーに、林業や山村の本質的価値を世に知らしめ、林業経営を底上げする。そのモチベーションで流域全体の自然環境を持続的なものにしていく。森づくりこそ村おこしにつながる。林業を子どもたちの憧れの仕事にする、というのが中田さんの大きな目標だ。
取材・文/鹿熊 勤
-profile-
中田 無双 Muso Nakada
北都留森林組合参事/森林インストラクター/NPO多摩源流こすげ副代表理事
1967年東京生まれ。2002年4月にIターンとして都会と山村の両方の目(価値観)を持つ技能職員として山梨県の北都留森林組合へ就職。指導係として森林経営計画策定、測量、森林・林業体験教室事務局など歴任し、現在は森林組合経営責任者の参事として経営理念『森を中心とした持続可能な流域循環型社会の実現』と全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に組合員、山村地域社会の進歩発展に貢献できる森林組合経営を目指している。