浦田愛
田舎の知恵と都会の価値観を、交流によって等価交換
山奥にぽつんとある一軒家の人ってどうやって暮らしているのだろう?
浦田愛さんは、子どものとき家族旅行で見かけた光景がずっと忘れられなかった。自分には田舎というものがなく、夏休み明けに友人たちが楽しそうに話す田舎の思い出はよく理解できなかった。中学から大学までキャンプや軽登山に親しみ、野外活動施設でのジュニアリーダー、学生ボランティアにも励んだ。どれも楽しい活動だった。やがて関心は田舎へと向いていく。テレビ番組の『アルプスの少女ハイジ』や『大草原の小さな家』のような暮らしに対する漠然とした憧れだ。キャンプの経験も積んできたので、自分には自然豊かな田舎で暮らせるスキルが十分あると信じていた。
教師を目指していた大学4年のとき、教育者になる前に一度農村生活を経験してみようと考えた。そうすればこれからの教育と出会えるかもしれない――。
就職したのが、広島県三次市の川西地区という山村にある観光農園だ。そこでの生活は、あこがれてはいただけでまったく前知識のない田舎暮らし。風呂は裏山からとってきた薪で沸かし、日々の食材は田畑で育てたものや野山の恵み。集落で出会う方々は自然と暮らす達人たち――新鮮と驚きに満ちた日々が始まった。
「キャンプでやってきたことだから、はじめは簡単だなと思っていたんですよ。薪割りは自信があるし、テントの張り方のようなアウトドア技術も誰にも負けないという自信がありました。でも、わずか数泊のキャンプと農村の生活は根本的に違うものだと気づきました。田舎の人たちは、自然を利用しているのではなく対話しているのです。自給自足の暮らしもアウトドアと言うならば、それは自然と密接につながったアウトドア。田舎暮らしをしたいといいながら、自分にはそういう視点が欠落していたことに気がついたのです」
大学を出ても、ダイコン一本抜けないようじゃ…
大きなきっかけとなったのが『ダイコン事件』だ。社長の奥さんからダイコンを抜いてくるように頼まれた浦田さんは、畑にこれまで入ったことがなかったことに気がついた。日ごろ食べているダイコンがどんなふうに育つのか、その姿を全くイメージすることができず、畑の中のどれがなにかわからない。キュウリやナスと違い、ダイコンの白い部分は土の中に隠れている。浦田さんはしかたなく台所へ戻り“ダイコンはありませんでした”と答えた。あきれた奥さんは浦田さんを畑に連れて行き“これがダイコンね”と畝を示した。
「わかりました。掘りますからスコップを貸してくださいって言ったんです。そしたら奥さんが、ほんとに呆れたという顔をして。“ダイコン抜くのにスコップなんかいらないわよ、手でこうやって抜くの”とやってみせてくれたんです。教えられたとおりにやってみると抜けました。感激している私に、奥さんはぽつりとこう言ったんです。
“大学を卒業しても、ダイコン一本抜けないようじゃねえ…”。
恥ずかしい。情けない。でもほんとうにそうだと思いました。そして、同じ大学に通っていた友人たちの顔を思い浮かべ、きっと私だけじゃない。たくさんの大人が、こんなふうに育ってしまっているのではないかと考えました」
木造の廃校を利用した『ほしはら山のがっこう』の運営につながる都市農村交流活動を思い立ったのは、このダイコン事件が大きな契機だ。地域の人たちからは、その後もじつに多くのことを学んだ。神社の祭礼や溝掃除など一見面倒そうな共同作業と、その後に開かれる飲食会の深い意味。野山にある季節の食べ物のありかと、それをめぐる生態系。街灯がない集落だからこそわかる月あかりの意外な明るさ…。田舎には都市生活者が失ったさまざまな知が眠っている。自分がダイコンから教えられたように、ここを都会の人たちが集まれる場にすれば有形無形のさまざまな学びが生まれるはずだ。
田舎側も都会に学ぶ。これが真の交流
「でも、こうも考えました。田舎が体験を一方的にサービスするということではなく、訪れた都会の人が持っている価値観や情報を吸収することも、地域の未来を考えていくうえでは大事なんじゃないかと。交流事業で大切なのは相互理解。そんなお話をする機会をあちこちでいただき、地元学なども開いてきました」
地元学とは、田舎は何もないと悲観するのではなく、都会に比べて何があるのか。あるいは、ないことのプラス面も含めて評価し、住民みんなで地域を客観的に見つめ直す学びの場だ。水道はないが清冽な山水がある。街灯はないが星がきれいに見える。田舎の人たち自身が日々の暮らしをポジティブにとらえ、それを魅力化していけば、都会により強い訴求力で発信できる。97年から始まったふるさと自然体験塾は年々バージョンアップ。廃校後も続く町民運動会には体験塾の参加者やそのOB、家族も競技に加わり、今では地区でいちばん賑やかなお祭りだ。
浦田さんは、結局教師にはならなかった。しかし、自分が理想とする真の教育の姿を、この廃校で見つけることができたと確信している。
取材・文/鹿熊 勤
-profile-
浦田 愛 Urata Ai
NPO法人ほしはら山のがっこう 副理事長・事務局長
1972年生まれ。福岡市出身。子ども時代のガールスカウトやジュニアリーダーが野外教育と地域づくりの原点。大学で児童教育を学ぶ。農村に惹かれ移住後、農家に嫁ぐ。「ふるさと」の人々や教育力、居場所機能などに魅了される。2003年廃校をきっかけに地域ぐるみで「ほしはら山のがっこう」を開校。交流宿泊施設の運営、「ふるさと自然体験塾」「夏休み7泊8日キャンプ」などの企画を担当。交流とネットワークによる地域づくりに関わる。