ジャパンアウトドアリーダーズアワード|Japan Outdoor leaders Award

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受賞者


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登坂由美恵

耳は聞こえなくても心は読める。特技を社会貢献に

2歳の時に両方の聴力がないことがわかった。聾唖(ろうあ)者が手話を手段とするのに対し、難聴の自分の場合は口の動きを読む読唇術と、補聴器から入る音を照合させて相手の言葉を理解してきた。自分の声もよく聞こえにくいので話し方は不明瞭。初対面の人からは、外国の方? 何語話しているの? と言われることもよくある。子供のころは内気で、何をするにもおどおどして友達の輪にもうまく入れない。孤独な時間を過ごすことが多かった。そんなとき出会ったのが海だった。

18歳でインテリアの専門学校に入ったときに直面した壁は「聞こえ」に対するサポートだった。高校時代まで、授業を受けるときには難しいことも少なくなかったが、ある程度の支援は受けることができた。しかし、卒業後に進んだ専門学校にはそういう体制そのものがなかった。授業についていくことが難しくてひとり悩んだ。そんなある日、友人がボディーボードに誘ってくれた。湘南の鵠沼海岸である。体験したことがないので迷ったが、気分転換にやってみようという気になった。幼いときによく海水浴には連れていってもらったけれど、本格的に波に乗るのは初めてだ。

ふと気づいたのは、海では誰の足元にも同じ波が繰り返し寄せてくることだった。つまり、自然のリズムの下では健常者も障がい者も同じ。この世界で生きてみよう! 人生の目標が見つかった瞬間だ。

 

「聞こえなくても、自分は絶対に負けない」という自信を養う

その夏休みから、静岡県白浜海岸の土産店に住み込みで働きながらボディーボードの練習に明け暮れた。土産店の隣がたまたまメンズトッププロのお兄さんの経営する店。大いに刺激を受けた。20歳になったとき、あと5年で聴覚が完全になくなるという宣告を受ける。ショックだったが、むしろ海の世界で生きてやろうという気力が湧いてきた。小笠原での滞在を経て、25歳で千葉県に移住。プロとアマが一緒に過ごして腕を磨き合う、プロを目指す女子だけのシェアハウスに入った。

波は誰にも平等だとはいえ、試合は人との競争なので駆け引きがいる。進行のアナウンスも遠くからのマイクだと読唇術が使えない。仕事もしないと生活ができないが、アルバイトの面接はことごとく落ちた。耳が聞こえないことは依然としてハンディとして付きまとう。しかし試合には出続けた。そして念願のプロ選手になった。

はじめてハワイへ遠征したとき、日本の波とは違うダイナミックさに驚嘆。そして魅せられた。雑誌で見た海外の選手と肩を並べるには、フィジカルもメンタルももっと強くならなければと、パーソナルトレーニングを受けた。ある大会で自分自身の最高得点を出した時、耳が聞こえないことでこれまで抱えてきた悩みがすべて消え去っていた。

私は私の選んだ波に乗るだけ。そういう気持ちで向き合うと、不思議と勝ち上がっていくことができた。海外を拠点にツアーを回り、自分を確立することができたハワイで引退。この青春時代で一番のトロフィーは「聞こえなくても私は絶対に負けない」という人間としての自信だ。

 

「耳が聞こえなけりゃ胸で聞け。そして人を助けてやれ」

東日本大震災の翌年(2012年)からは、千葉県御宿町で『陽(あ)けたら海へ』という支援活動をしている。震災で海に入れなくなった福島の子供たちを招待、地元御宿の商工会を始め、多くの海を愛する人たちの協力を得て、ボディーボードやサーフィン、SUPのスクールを開催する。BBQによるスタッフと子どもたちの懇親会やビーチクリーン活動も組み込んでいる。

とはいえ、初めからスムーズに事が運んだわけではない。よそ者で、障がい者。地元の一部には、外から来た人間が自分たちの海でイベントを開催することに対する偏見もある。自分は何者で、何をしたいのか。毎年続けていくことと「想い」を持つことで、地元の人たちの協力を少しずつ得ていくしかない。同時に痛感したのは、人間としての器量だ。それがわかったのも数々の失敗を経てのことである。

ボランティアスタッフは年ごとに入れ替わるが、参加してくれる人が年々減っていくことに気づいた。なぜだろうと原因を探ると、自分がスタッフを頼っていないことだとわかった。「ハード過ぎてやっていても楽しくない」「由美恵さん自身が楽しんでいるように見えないことが苦痛」。聞いてみるといろんな本音が聞こえてきた。がんばりすぎて自分自身に余裕がなかった結果、チームワークを乱していたのだ。

みんなの意見や気持ちを集約しながら、「誰もが楽しめること」「無理せずに頼ること」で私自身も心の余裕ができ、ギスギスした空気感がなくなった。人を信頼するようになったことで、参加する子供たちの笑顔もそれまで以上に輝くようになったと感じる。

折に触れて思い出すのは、大好きだった祖父に子供のころにいわれた一言だ。

「耳が聞こえなけりゃ胸で聞け。そして人を助けてやれ」

聴覚障がい者は、相手の表情を見て感情を理解することが得意だ。楽しそうな顔をしているときも、悲しそうな顔をしているときも、こちらからどうしたの? と尋ねるとたちまち心を開いてくれる。思えば友達からは「由美恵ちゃんはなんでも見抜いちゃうんだね」「あなたには嘘がつけないよ」とよく言われていた。

健常者もまた悩みを持っている。まして感情の繊細な子供はそうだ。誰もがさまざまな焦燥を抱き、訴えきれないでいる。そうした孤独感を海の力を借りて開き、心からの笑顔をつくり出す。その笑顔をバトンタッチしていくのが、今まで支えてくれた人たちへの恩返しだと思っている。

 

取材・文/鹿熊 勤

-profile-

登坂 由美恵 Yumie Tosaka

陽(あ)けたら海へ 代表

ボディーボード/ヨガインストラクター・講師

東京生まれ。2歳の時に両耳の耳が聞こえない事がわかり、補聴器をつけ、口の動きを読む読唇術で会話をする。18歳の時に友人に勧められてボディーボード(以下BB)を始める。伊豆白浜、八丈島、小笠原、ハワイノースショアでの修行を経て千葉県長生郡一宮へ引っ越しプロになる。選手引退後、海で感じた事、学んだ事、教えてもらった事、全てを多くの人に伝える海のメッセンジャーになるのが夢。

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